現在までに詠歌42曲、和讃55曲、音頭2曲の約100ほどのお歌があります。ここでは様々なお歌をご紹介してまいります。
随時更新し、少しでも多くの方に吉水流詠唱を知っていただけましたら幸いです。
(動画と解説が下にずっと続きます)
浄土宗を開かれた法然上人の亡くなった忌日を偲び、そのお徳を讃える法要を「御忌(ぎょき)」といいます。例年1月から4月ごろにかけて全国各地の浄土宗寺院で勤められており、浄土宗においてとても大切な法要です。
1番
承安五年の 春なかば 都の花に さきがけて
濁世を救う 声あらた 専修の門は 開かれぬ
【承安五年(1175)春、法然上人は善導大師の遺された『観経疏』という書物により、余行を捨てて専修念仏の教えに帰依しました。季節は都の花が咲くことよりも先でした。濁り汚れた世を救う新しい声、念仏の声があがりました。専修念仏(専ら阿弥陀仏のみ名をとなえる念仏の行を修すること)の門である浄土宗が開宗されました。】
2番
上は雲居の高樓に 下は鄙辺の苫屋まで
流れあふれて 吉水の 歴史は清し 八百年
【上は雲の上の高楼である宮中の方々にも、下は鄙びた苫葺きの家に住む人々にも、吉水の地におられた法然上人のみ教えは、流れあふれ出るように広がっていきます。浄土宗の歴史は清らかに流れ、八百年が過ぎました。】
3番
代々の帝も 御感あり 贈名八度 くだされて
勅会と決る 御忌の庭 念仏の声 いや高し
【歴代の天皇も法然上人のみ教えに感心され、大師号を八度(円光・東漸・慧成・弘覚・慈教・明照・和順・法爾)下賜されました。大永四年(1524)法然上人の忌日法要である御忌会は、天皇の命により修する法会である勅会と決まりました。念仏の声がいよいよ高く聞こえています。】
※音声は「贈名七度」となっていますが、現在は「贈名八度」に訂正されています。
4番
華頂の嶺は 松青く 久遠の教え 日々若し
聖 法然 たたえつつ 拝む命の やすけさよ
【華頂山の嶺には松が青々としています。永遠に続く念仏のみ教えは、日々新しく若々しいです。我々は聖である法然上人を尊く敬い讃えます。阿弥陀仏を礼拝する我々の命、一生が安らかなことを法然上人に感謝します。】
お舞は1番と5番のみです。歌詞は『吉水流和讃集 音譜用』に準じています。
1番
さえられぬ 光もあるを おしなべて
春の大谷華頂山 浄土の法門 花と咲く
専修念仏の 総本山 讃えまつらん
知恩院知恩院
なむあみだぶ なむあみだぶ
なむあみだぶ なむあみだぶ
2番
われはただ 仏にいつか 葵ぐさ
夏の大谷華頂山 三門くぐりて 御影堂
専修念仏の 総本山 拝みまつらん
知恩院知恩院
なむあみだぶ なむあみだぶ
なむあみだぶ なむあみだぶ
3番
阿弥陀仏に 染むる心の 色に出でば
秋の大谷華頂山 映える御廟のありがたさ
専修念仏の 総本山 慕いまつらん
知恩院知恩院
なむあみだぶ なむあみだぶ
なむあみだぶ なむあみだぶ
4番
雪のうち み名を唱えば つもる罪
冬の大谷華頂山 融けてながるる吉水や
専修念仏の総本山 仰ぎまつらん
知恩院知恩院
なむあみだぶ なむあみだぶ
なむあみだぶ なむあみだぶ
5番
月影の 至らぬ里なき み教えの
法灯(ひかり)輝く華頂山 四方に覚めの梵鐘(かね)のこえ
専修念仏の総本山 寿ぎまつらん
知恩院知恩院
なむあみだぶ なむあみだぶ
なむあみだぶ なむあみだぶ
われはただ 仏にいつか 葵草 心のつまに 掛けぬ日ぞなき
【私はただひたすらに、いつの日か阿弥陀仏にお会いするのだということを、葵草をものの端に掛けて飾ったりするように、心の端に掛けて、(阿弥陀仏のことを)思わない日など決してありません。】
このお歌は円光大師(法然上人)二十五霊場第二十二番、大本山百萬遍知恩寺に配当されています。また、『法然上人行状絵図』や法然上人のお歌を集めた『空華和歌集』には「夏」のお歌とされています。
この百萬遍知恩寺は以前は「賀茂の河原屋」と呼ばれ、現在の相国寺(京都市上京区)の付近にありました。後に、法然上人の弟子である勢観房源智上人が継承され、現在の場所に移されました。
ひたすらに阿弥陀仏に会うことを切に願い、それを片時も忘れなかった法然上人の気持ちが伝わってくるお歌です。
「葵」は歴史的仮名遣いでは「あふひ」と書きます。つまり、「あふひ(葵)」と阿弥陀仏に「あふひ(会う日)」とが掛詞になっております。
葵の葉は古来、「賀茂祭(葵祭)」の祭儀の際に社殿の御簾や牛車などを飾るのに使われ、そのことから「葵祭」と言われるようになりました。
葵草を何かの端に引っ掛けて飾ることと、常日頃から阿弥陀仏にお会いしたいという一途な気持ちを心の端に掛けているお気持ちを詠まれています。
池の水 人の心に 似たりけり 濁り澄むこと 定めなければ
【池の水は人の心に似ていたのですね。濁ったり、澄んだり変わりやすいことですので。】
このお歌は円光大師(法然上人)二十五霊場第二十四番、大本山黒谷金戒光明寺に配当されています。歌詞の中に「池の水」とあることから、「池の水の御詠歌」とも呼びます。
天皇や上皇の命により編纂された勅撰和歌集でもある『続後拾遺和歌集』には「わが心池水にこそにたりけれ濁りすむ事さだめなくして」とあります。
『法然上人行状絵図』の代表的な注釈書である『円光大師行状画図翼賛』には、【賀茂の河原屋にて庭の池水を詠まれた歌】とあります。「賀茂の河原屋」は大本山百万遍知恩寺の前身のお寺で、この場所では他にも「夏の御詠歌」もお読みになられています。
このお歌が黒谷金戒光明寺に当てられた理由として、蓮生法師(熊谷次郎直実)が白川の禅房(金戒光明寺の前身)におられた法然上人を訪ねた際に池で鎧を洗ったと言われております。よって「池」を題材にしたこのお歌がこの霊場に当てられたと思われます。
揺れ動く、思いが乱れっぱなしの我々凡夫の心を詠んでおり、私たちの心を見事に表現されています。我々はこの世の中の出来事に一喜一憂しやすいものです。野に咲く花や綺麗な景色に心穏やかになったかと思えば、急に鳴らされた車のクラクションに対して瞬間湯沸かし器の如く腹を立ててしまう私であります。
仏教には「禅定」といい、精神を集中させ、心を落ち着かせることが大切であるとされています。頭ではわかってはいるんだけれども揺れ動いてしまうわが心。そんな心定まらない我々であっても阿弥陀仏という仏さまは決して見捨てたりはいたしません。いつも我が名を呼べと仰っています。
「南無阿弥陀仏」のお念仏は、「阿弥陀さまどうかよろしくお願いします」という意味があります。煩悩によって迷いの世界を離れることができない存在であると自覚しながらも、まことの心をもって日々のお念仏を大切にしたいものです。