Ⅰ.吉水流詠唱とは?
吉水流詠唱とは、浄土宗の制定した詠歌、和讃及び舞をいいます。
元禄年間(1688-1704)以後の時期に西国三十三か所観音霊場や四国八十八か所霊場の巡礼が流行しました。その際に巡礼者は霊場を巡拝し、その霊場の「御詠歌」を唱えるようになったのです。浄土宗にもその流れは波及し、「円光大師(法然上人)二十五霊場」として霊場が制定され、各霊場には御詠歌が当てられました。
この吉水流詠唱は戦後に発足しました。戦後の人々の心に浄土宗のお念仏の教え、法然上人の教えをお歌に乗せてより分かりやすく、親しみやすいようにと考案され、今日まで伝わっております。
1、詠歌
法然上人が作られた和歌(五七五七七)に節付けされた曲調です。ほとんどが法然上人御作の和歌をお唱えしていますが、お念仏の教えを説かれ、導かれた高僧のお歌もお唱えしています。
2、和讃
和讃は七五調の歌詞に節付けしたものです。浄土宗の年中行事、たとえば御忌(ぎょき)、お彼岸、十(じゅう)夜(や)法要を中心に、行事の意味をあきらかにし、法要をより十分に味わうために作詩されています。
3、舞
舞は、洋舞、日本舞があります。どれもお歌の心を動作の上に表現して、自分自身が身体全体を通じて仏を賛美し、供養する喜びを表すのです。
Ⅱ.仏心を求める心
「仏心とはこれ大慈悲なり」という言葉が仏典にでてまいります。仏教における大切なことは全てのものや人々に対する“思いやりの心”ではないでしょうか。これを仏教用語では「慈悲」と言います。“ともに喜び、ともに悲しむ”これができれば分かち合う喜びは二倍になり、悲しみは半分になりましょう。
しかし我々の心はいつもそうではありません。自分目線で自分優先に物事を考えたり、他人が喜んでいると、妬みの心をもち腹を立てたり、心の中の鬼が悪さをして、「煩悩」という心の垢がたまってしまいます。
仏教ではそのような愚かな自分の心に気付かせるため、克服するために様々な修行があります。その中の一つとしてこの「詠唱」があるのです。
仏教は死んだあとのための宗教ではありません。
その字の通り、「仏の教え」であり、「仏になるための教え」なのであります。
浄土宗としましては煩悩に苦しむ我々ですが、そんな愚かな私もその身そのままに「南無阿弥陀仏」とお念仏をおとなえし、阿弥陀如来様がおられる西方極楽浄土に往生させていただくことを願う教えです。そのお念仏をとなえる我々の励みにこの「詠唱」はなるのであります。
詠唱は僧侶だけでなく、檀信徒の皆様も気軽に行える立派な仏道修行です。住職と一緒に楽しく「詠唱」を勉強しませんか?いつでもお待ちしております。