元禄九年(一六九六)浄土宗が全国浄土宗寺院の悉皆調査を行い、由緒書を編集した『浄土宗寺院由緒書』(『増上寺資料集』第六集所収)の加賀寺院浄土宗寺院(知恩院末一一寺、浄華院末九寺)二〇カ寺(※1)の開創年時を見ると別表の如くである。は以下の通りである。
年 号 | 西 暦 | 寺院数 |
天 文 | 1532~1554 | 1 |
天 正 | 1573~1591 | 3 |
文 禄 | 1592~1595 | 1 |
慶 長 | 1596~1614 | 2 |
元 和 | 1615~1623 | 4 |
寛 永 | 1624~1643 | 6 |
正 保 | 1644~1647 | 2 |
慶 安 | 1648~1651 | 1 |
計 | 20 |
まず、開創年時について、二〇ヶ寺中一九ヶ寺が天正より慶安に至る七八年間に集中的に開創されており、全体の九五%にあたる。就中、元和より寛永に至る二八年間に一〇ヶ寺、全体から見れば五〇%が、この時期に開創をみていることである。開創期の全期は、あたかも中世と近世との時代的な交替期にあたり注目すべき時期である。
全国浄土宗寺院の開創期の傾向は竹田聴洲氏の報告によれば、実に中近世の時代的転換期に爆発的な勢いでもって開創されたとしている(『民族仏教と祖先信仰』)。加賀もまたその例に洩れず、とくに元和以降、幕藩制確立期に開創をみていることに注目できる。すなはち、二代加賀藩主前田利長が慶長五年の関ケ原の戦に東軍に属することによって、加賀・能登・越中三国を領有する大大名に成長する時期から元和偃武を経て加賀藩制を確立する時期と全く一致する。
今ここで、各寺の開創事情を垣間見れば、法船寺(※3)の開山は念誉上人と云い、「天正十一年ニ加賀大納言利家公当地御城御移之刻、尾州より被召連御屋敷拝領、同年ニ建立仕」とあるように、法船寺は金沢では比較的早く開創をみた寺で、初代藩主の移封(大名の配置換え)と共に移住した寺であることがわかる。
(『金沢市史 資料編13寺社』より一部引用)
(※1)
現在の石川県における浄土宗寺院の区分けは「石川教区」とされ、教区内に地域ごとに「〇〇組」と分けられている。現在は石川教区内に四つの組があり、総計四十一の浄土宗寺院がある。
(※2)
元和元年(1615)大坂の陣が終り豊臣氏の滅亡後、平和な時代になったこと。
(※3)
現在の長町。弘願院は法船寺の隠居寺。