浄土宗の総本山は京都の知恩院というお寺です。「知恩」とはその字のごとく、「恩を知る」こと。普段何気なく生活していますが、われわれは多くの「恩」や「おかげ」によって支えられています。
このようなお言葉があります。
「咲いた花見て喜ぶならば 咲かせた根元の恩を知れ」
「花一輪が開くにも 天地いっぱい総がかり
私一人が生きるにも 天地いっぱい総がかり」
綺麗な花が咲くのも土深くに広がる根がしっかりと務めを果たすからこそ、枝葉にまで栄養がわたり、われわれはあの綺麗な花を見ることができます。
また、花一輪が咲くにも根や茎はもちろん太陽の光や雨、という天地すべてがその一輪の花を咲かす。われわれ人間も同じです。この私一人が生きるために、身近な人の支えはもちろん、友人やお店の店員さんに至るまで生活をしていく中でも多くの方の「おかげ」によって生かされているのではないでしょうか。
今のコロナ禍の生活は過去にできていたことができない制限のある生活です。無意識に生活をしていると様々なことが「当たり前」になり、本来ならばそこにある様々な「恩」に気が付きにくくなってしまいます。
「当たり前」の反対は? と問われると、私は「有難い」と答えます。
人が相手に感謝の思いを伝える時に出てくる言葉は「ありがとう」です。
さまざまな「恩」を見失ってしまうとわれわれは「わがまま」になってしまい、多くの事を他に求めがちになります。そんな時にふと自分を見つめ直して、自分がどれだけ多くの人に支えられているか、どれほどの「恩」をいただいているかを自分自身に問いかけてみましょう。そうすると周りの人に対しての感謝の思いと共に自然と「ありがとう」という言葉が出てくるはずです。
改めて言葉に出すことが少し恥ずかしくなるかもしれませんが、「ありがとう」という言葉は、言う側も言われた側も幸せになる素晴らしい言葉です。
今日も一日「ありがとう」という感謝の種を縁ある方々にお届けしてみましょう。
弘願院 もりおか たっけい