食事をいただく前に「いただきます」という言葉はありますか?
私たちはお肉・お魚・お野菜・お米・・・沢山の「いのち」を食事としていただいて生きています。言い換えるならば、私たちは他の命を奪わなければ生きていけないのです。
「いただきます」というのは、作ってくれた人に対する感謝だけでなく、我々の食料となって命を落とした生命に対しての感謝ではないでしょうか?
修行時代に毎回食事の時に次の「五観」をとなえていました。
「一には功の多少を計り彼の来処を量る」。
この食事は多くの人々の苦労や様々な命を経て、今自分の目の前にある。
そのことを思い、感謝すること。
「二には己が徳行の全欠多減を忖る。」
自分は果たしてこの食事を受けるのに値するかをよくよく考えること。
「三には心を防ぎ過を顕すに三毒に過ぎず。」
食事に対して不平不満を言わず、欲を離れ、くれぐれも食事の味に
執着しないこと。
「四には正しく良薬を事とし形苦を済うことを取る。」
食事は身を養い、命を保つ良薬としていただくもの。
「五には道業を成ぜんが為にして世報は意に非ず。」
食事は自分の欲を満たしたり、名誉や地位など、周囲と比べることなく、
仏さまの教えを守るという正しい道を歩むためのものであること。
消費者庁の調べによると日本では、年間2550万トンの食品廃棄物等が 出ており、このうち、まだ食べられるのに廃棄される食品、いわゆる「食品ロス」は612万トンも出ているのです。これを国民一人当たりに換算すると、お茶腕約1杯分の食べものが毎日捨てられていることになるのです。
「いただきます」という言葉の奥には多くの「命」があるということ。食事を通して「命」への感謝の想いと、その「命」を無駄にしないために、食品ロスについて是非とも一緒に考えてまいりましょう。