先日、小学校2年生になる姪からこのような質問を受けました。
「当たり前の反対の言葉はなんだと思う?」
私は少し考えて、当たり前の反対は、「有難う」じゃないかなと答えました。
「ありがとう」という言葉は言う側も言われた側も幸せになる素晴らしい言葉です。
しかし、有ることが当たり前になってしまうと、この「ありがたさ」に気が付きにくくなってしまいます。
私たちが今いただいているこの命もそうであります。人としてこの世に生まれてくることの難しさを浄土宗を開かれた法然上人は、
「人として生まれたことは梵天(天上界)より糸を下して、大海の底に
ある針の穴にその糸を通すような稀なこと」と仰っています。
詩人の相田みつをさんの詩にこのようなものがあります。
「自分の番 いのちのバトン」
父と母で二人
父と母の両親で四人
そのまた両親で八人
こうして数えてゆくと
十代前で千二十四人
二十代前では— ?
なんと百万人を越すんです
過去無量の
いのちのバトンを受けついで
いまここに
自分の番を生きている
それがあなたのいのちです
それがわたしのいのちです
父、母、祖父、祖母、さらに父方の・・・、母方の・・・・、
このように何十代も前のどなたか一人でも欠けていたならば私という存在はここにないのです。
脈々と繋がっているこの命に感謝し、その尊い命を持つもの同士、互いに助け合い、支え合う世の中を目指してまいりましょう。